白い千羽鶴 ― 2011年03月31日 20時40分42秒
災害地の情報が次々と伝えられてきている中、確認された死亡者の他に行方不明者の数が何万人と報告されています。予想だににしない大きな津波、街すべてが一緒に犠牲になっているとしたらいったい誰がその行方を探してくれるのでしょう。直前まで明るい未来を信じていた子供たち、家族のため、地域の人々のために生き生きと働いていた人々や病院や街角で静かに暮らしていた人々、みんな直前まで生きるためにもがいていた。すでに命の火は消えてしまっている人たちが今だ見つけられることも無く瓦礫の下で冷たい夜を過ごしていることを思うとき、私たちのできることはせめて安らかにと祈ることだけ。
千羽鶴は生きているあなたには残念ながら届かない。でもそこで懸命に生きていたあなたのために私たちは祈ります。そして白い千羽鶴を折り続けます。
白い手漉きの雲肌紙で鶴を折り続けましょう。祈りを白い千羽鶴に託して
平成23年4月8日~10日 福時会場にて(南青山291)
白い手漉きの雲肌紙で鶴を折り続けましょう。祈りを白い千羽鶴に託して
平成23年4月8日~10日 福時会場にて(南青山291)
祈り ― 2011年03月23日 20時41分27秒

自分のために祈ってくれている人がいる・・・何不自由の無い普通の日々ではなかなか意識できないことを長い時間をかけて押し付けることなく同じ言葉を繰り返して教えてくれた人。それは高校で下宿させてもらった大家さん。
大学受験でも、そして合格しても、東京に就職して4年間ご無沙汰のあと帰郷して工場に入ったときに久しぶりに挨拶に行っても、お嫁さんを紹介に行ったときも、生まれた長女を見てもらいに行った時も、自分の忙しさに長い間ご無沙汰している間にやや不自由になった身体で偶然街で出会ったときも、そして自分の妹のお葬式では車椅子に乗りもはや自力で動かなくなった身体になっても私にかけてくれた言葉は「お祈りしてるよ」
この言葉が今、日本中に、いや世界中に・・・幸せな時代が来ることを祈ろう。
http://matome.naver.jp/odai/2129988433846418301
大学受験でも、そして合格しても、東京に就職して4年間ご無沙汰のあと帰郷して工場に入ったときに久しぶりに挨拶に行っても、お嫁さんを紹介に行ったときも、生まれた長女を見てもらいに行った時も、自分の忙しさに長い間ご無沙汰している間にやや不自由になった身体で偶然街で出会ったときも、そして自分の妹のお葬式では車椅子に乗りもはや自力で動かなくなった身体になっても私にかけてくれた言葉は「お祈りしてるよ」
この言葉が今、日本中に、いや世界中に・・・幸せな時代が来ることを祈ろう。
http://matome.naver.jp/odai/2129988433846418301
祈り(その7) ― 2010年06月01日 22時40分38秒
やはりこの日も晴れていた。第一志望校には良い知らせは来なかったものの本人の望む現実的な進路に進むことが出来、遅ればせながら下宿先を決めに大阪に。好条件の物件はすでになかったものの、もはや選択肢はないのでやや学生には贅沢と思えるアパートに決め、今日は引越しの荷物の届く日。何もないがらんとした部屋の中、とりとめもない話を繰り返す。親子ともども感じていた1人暮らしの不安がこれからの学生生活の希望を押しつぶしかけていた。

新生活のための買い物にいったん宿を後にし、道すがら目を和ませてくれる膨らみかけた桜のつぼみが彼女を一歩前に押し出してくれているような気がした。あちこちで新入生と大家さんの初顔合わせが見られる中、近所に住む夫婦に声をかけた。「あれ、どちらからおいでですか?」一言でその場を和ます私の訛り。東京から田舎に帰郷して二十年以上、言葉はすでに郷里のものに・・・「福井です。娘がこれからお宅様の隣でお世話になることになりました。よろしくお願いします。」感じのいい夫婦、明るい物腰で学生との付き合いはかなり慣れているようだ。この町にうちの子はしっかり育てていただけそうな気がした。

祈り(その6) ― 2010年04月06日 20時53分07秒

次々届く残念な結果、あれほど強気に試験に向かっていた娘もさすがに気持ちが折れかけていた。明るく常に前向きで目の前の現実に立ち向かっていたわが子がはじめて見せた姿、表面上は勤めて平静を装ってはいても家の空気は重くなってくる。
「お祈りは届いているよ。」そんなときも彼女の言葉が耳に残っていたからか不思議に落ち着いていられた。第2志望の合格発表日、パソコンの画面に何ともあっけなく娘の番号が。後に第一志望の試験を残しているため、ほっとしながらも微妙な気持ちで受け止める娘に「これはあんたの人生で最初に頂いたチャンスだよ。さあ次の試験に向かってがんばれ」と言いながらすでに自分のなかの受験は終わっていた。彼女の「祈り」が30年前の私のときに続いて今回も届いていたのだから。
「お祈りは届いているよ。」そんなときも彼女の言葉が耳に残っていたからか不思議に落ち着いていられた。第2志望の合格発表日、パソコンの画面に何ともあっけなく娘の番号が。後に第一志望の試験を残しているため、ほっとしながらも微妙な気持ちで受け止める娘に「これはあんたの人生で最初に頂いたチャンスだよ。さあ次の試験に向かってがんばれ」と言いながらすでに自分のなかの受験は終わっていた。彼女の「祈り」が30年前の私のときに続いて今回も届いていたのだから。
祈り(その5) ― 2010年01月04日 15時38分53秒
二人の旅立ちは両日とも快晴であった。北陸の晩秋から冬の季節でこんな天気はほとんどないといってよい。いつでも誰に対してもその場を明るくしてくれたこの二人らしいな、と青い空を見ながら今回もこの教会へ。受付にて記帳し、世話をされる方に自分の高校生時代の恩人であることを告げ、「本当は病院に届ける予定でしたが・・・」と作品「ツリー」を預ける。意外なほど淡々とした気持ちで会場の入り口に立つ。
それぞれの生き方の違いからこの前とは集まる人こそ多少の違いはあるが今回もその人柄を表すように、悲しみと言うよりなごやかな暖かい雰囲気のなか出席者は着席していた。静かに足を進めると十字架のある祭壇に向かって右側の親族の後ろに席が空いていた。この2・3列だけは誰も座る様子がないことを見て着席。ここから祭壇まではそれなりに距離があるはずなのに優しく微笑んでいる写真がすぐ目の前に見える気がした。「お祈りしてるよ。」まだそこで声が聞こえる・・・
着席後しばらくすると式の準備で人の動きが多くなってきた。そのなかからひとり、見覚えのある婦人が祭壇に向かうと彼女の写真の前にそっと私の作った「ツリー」を置いてくれた。この婦人は彼女の姪にあたり、30年前にもときどき顔を見ることがあったのを思い出す。おそらく私の思いを察して飾られた花の間に彼女に良く見えるようにと気を使っていただいたようだ。ちょっと目頭が熱くなる。
キリスト教の式典は質素ではあるが厳かで粛々と進められている。彼女はここでずっとすべての人に祈りを捧げていたのだろう。受験を前にした不安と将来への希望とが混在した情緒不安定な高校生だった私のことをどのような気持ちで祈っていただいていたのか。自分の娘が受験生となった今、ようやく少しだけわかるような気がした。
それぞれの生き方の違いからこの前とは集まる人こそ多少の違いはあるが今回もその人柄を表すように、悲しみと言うよりなごやかな暖かい雰囲気のなか出席者は着席していた。静かに足を進めると十字架のある祭壇に向かって右側の親族の後ろに席が空いていた。この2・3列だけは誰も座る様子がないことを見て着席。ここから祭壇まではそれなりに距離があるはずなのに優しく微笑んでいる写真がすぐ目の前に見える気がした。「お祈りしてるよ。」まだそこで声が聞こえる・・・
着席後しばらくすると式の準備で人の動きが多くなってきた。そのなかからひとり、見覚えのある婦人が祭壇に向かうと彼女の写真の前にそっと私の作った「ツリー」を置いてくれた。この婦人は彼女の姪にあたり、30年前にもときどき顔を見ることがあったのを思い出す。おそらく私の思いを察して飾られた花の間に彼女に良く見えるようにと気を使っていただいたようだ。ちょっと目頭が熱くなる。
キリスト教の式典は質素ではあるが厳かで粛々と進められている。彼女はここでずっとすべての人に祈りを捧げていたのだろう。受験を前にした不安と将来への希望とが混在した情緒不安定な高校生だった私のことをどのような気持ちで祈っていただいていたのか。自分の娘が受験生となった今、ようやく少しだけわかるような気がした。
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