時間旅行 ― 2011年05月14日 20時47分52秒
開場までの待ち時間、どうしても我慢できずに大阪万博記念館に

ここは当時鉄鋼館と呼ばれたパビリオン。蔦が絡まり40年の時間を感じさせる。
太陽の塔の模型。金色に輝く太陽の顔は記憶よりかなり大きかった。

太陽の塔の中をエスカレーターに乗って登りながら、生命の過程を表現した展示に言葉も無く夢中で見ていたことを思い出す。自分の作品の原点。

こんなに多くの人が来場したんだね。

各パビリオンの紹介。

当時の日本の勢いそのまま。
パンフレットの展示。持って帰って大事に取っておいたはずだが・・・
パンフレットの展示。持って帰って大事に取っておいたはずだが・・・

何故かこの場所を憶えている。歩き疲れた祖母と妹を待たせて、弟と2人開場を走り回って見ていたパビリオンのひとつ。展示はほとんどが映像だけだったからそんなに面白いとは思えなかったが・・・

汗かいて戻ったら溶けかけたアイスクリームを持ってカナダ館の近くで祖母と妹が待っていてくれた。弟とあちこち見た話をして大騒ぎしながら食べたな。
この建物は面白い造型だったのでよく絵に描いていた。
この建物は面白い造型だったのでよく絵に描いていた。

ここに展示されていた砂漠の砂を持って帰った記憶が。さらさらですごい細かい粒子だった。

あの砂どこにいったんでしょうね。
「笑い」がテーマのガス・パビリオン。当時の子供にとって「笑い」って今みたいに簡単に、あちこちで見られるものではなかった。皆で腹を抱えて笑わせてもらった思い出は忘れられない。
「笑い」がテーマのガス・パビリオン。当時の子供にとって「笑い」って今みたいに簡単に、あちこちで見られるものではなかった。皆で腹を抱えて笑わせてもらった思い出は忘れられない。

1970年、私にとってはとても幸せな時間だったね。
さてイベント会場に。2011年の幸せな時間が始まる。残念なのはそこに不幸な人々の状況があるから出来たイベントであること。
さてイベント会場に。2011年の幸せな時間が始まる。残念なのはそこに不幸な人々の状況があるから出来たイベントであること。
そうは言っても楽しまないと。それが支援につながるはず。この楽しさがいつか被災地の方にも伝わるように・・・暗い顔では駄目。晴れやかな顔で
だから「顔晴ろうニッポン!手をつなごう関西」
この入場料やTシャツ・タオルの販売収益金が被災地の子供たち・学生たちの楽器の購入などの支援に当てられるそうです。苦しい生活をされている被災者の皆さんのことを思うと申し訳ないほど楽しい時間でしたが晴れやかな顔で向かう気持ちが日本の復興に向かう力になると信じましょう。それも祈りです。
帰りに気がついたゆるゆる看板。「今こそ農といえる日本へ」このほかにも大阪らしいオチがあちこち
だから「顔晴ろうニッポン!手をつなごう関西」
この入場料やTシャツ・タオルの販売収益金が被災地の子供たち・学生たちの楽器の購入などの支援に当てられるそうです。苦しい生活をされている被災者の皆さんのことを思うと申し訳ないほど楽しい時間でしたが晴れやかな顔で向かう気持ちが日本の復興に向かう力になると信じましょう。それも祈りです。
帰りに気がついたゆるゆる看板。「今こそ農といえる日本へ」このほかにも大阪らしいオチがあちこち

ブタ牧場とか田植え体験とか、大阪の真ん中にこんな施設があるなんて、ちょっと嬉しいね。
この前を幼稚園の子供たちがお母さんに手を引かれて楽しそうに万博公園に。天気が良くて本当によかった。
広々とした万博公園、一緒に来た娘も5年前なら大喜びだったろうね。でも今日は初の生WEAVERでハイテンション、目がキラキラ。
この前を幼稚園の子供たちがお母さんに手を引かれて楽しそうに万博公園に。天気が良くて本当によかった。
広々とした万博公園、一緒に来た娘も5年前なら大喜びだったろうね。でも今日は初の生WEAVERでハイテンション、目がキラキラ。
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