祈り(その3) ― 2009年12月17日 11時26分47秒
私はそのときどんな顔をしていたんだろう。お悔やみを言いに来た私に「がんばりなさい」とは、あまりに不自然だった。それに気付いたのか「今もお祈りしてるわよ。よく来てくれたね。」真っ直ぐな目で私を見つめながら続いた言葉にただうなずくだけだった。「お祈りは届いているよ。」何故、今、ここで・・・
数年前偶然再会したときには何とか歩行できていたが、今は起き上がることも無理なようだった。それでも自由には動かない手を合わせながらもはっきりとした明るい声は30年前のまま、まるで高校生のころと同じ、そこだけ時間が戻っている。あのころは先の見えない受験にそして今は仕事に、不毛な自問自答を繰り返している私の現実を何もかも見通しているみたいに。
滞りなく告別式は終わり、やはり明るい青空の帰り道、あのころと現在が頭の中に混在する不思議な気持ちになっていた。今では自分の娘が受験生となり、今やっと理解できる年齢になった。たった2年のその時間がどんなに貴重なものであったか。
私は今までこんなふうに人の幸せを望み、素直な気持ちで祈ることがあっただろうか。自分の娘でさえ自分の仕事などで精一杯で心のサポートなどは妻任せ、男親とはこういうものだと勝手に決め付けてはいなかったか。両親は仕事の大変さをほとんど意識させずに自分を支え、その上、私には受験生時代を最も身近なところで見ていてくれた人がここにいる。その後も帰郷・結婚・子育てと節目には訪問するたびにその笑顔に元気をもらっていた気がする。
自分はこれまでいただくばかり、何もお返しが出来ていない。でもおそらく時間はもうそんなに残っていないはず、できることは限られているが、祈っていただいた気持ちが届いていることを直に伝えたいと思った。それはやっぱり作ること、30年前と同じ気持ちで
数年前偶然再会したときには何とか歩行できていたが、今は起き上がることも無理なようだった。それでも自由には動かない手を合わせながらもはっきりとした明るい声は30年前のまま、まるで高校生のころと同じ、そこだけ時間が戻っている。あのころは先の見えない受験にそして今は仕事に、不毛な自問自答を繰り返している私の現実を何もかも見通しているみたいに。
滞りなく告別式は終わり、やはり明るい青空の帰り道、あのころと現在が頭の中に混在する不思議な気持ちになっていた。今では自分の娘が受験生となり、今やっと理解できる年齢になった。たった2年のその時間がどんなに貴重なものであったか。
私は今までこんなふうに人の幸せを望み、素直な気持ちで祈ることがあっただろうか。自分の娘でさえ自分の仕事などで精一杯で心のサポートなどは妻任せ、男親とはこういうものだと勝手に決め付けてはいなかったか。両親は仕事の大変さをほとんど意識させずに自分を支え、その上、私には受験生時代を最も身近なところで見ていてくれた人がここにいる。その後も帰郷・結婚・子育てと節目には訪問するたびにその笑顔に元気をもらっていた気がする。
自分はこれまでいただくばかり、何もお返しが出来ていない。でもおそらく時間はもうそんなに残っていないはず、できることは限られているが、祈っていただいた気持ちが届いていることを直に伝えたいと思った。それはやっぱり作ること、30年前と同じ気持ちで
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