かみ魂 ― 2012年06月27日 15時08分44秒
こんなDMを見せてもらった。
以前よりHPで紹介しているもの
http://www.washiya.com/b2b/ipec21/sh/sample1/199/index.htm
http://www.washiya.com/b2b/ipec21/sh/sample2/249/index.htm
こういうものが並ぶようになってきたHIRYU、認められてきたともいえる
模倣すること自体すべて悪いことだとは思わないが、その紹介の言葉に違和感を感じた。
職人の心意気をビジネスのために簡単に扱ってはしないか?
この飛龍技術が廃れた原因は模倣から大量生産へと移行、その価値をなくしてしまったこと
作る気持ちが使う気持ちとずれていく…またこの繰り返しになるのか
大量に売ることがビジネスである以上、売れないものは消えてゆくだけ
でも利益を得るだけの工場に職人の心=SOULは存在しないと思う
ものにあふれたこの時代、物を作ることと売ることをつなぐ役目が重要なことだからこそ、自分の言葉で自分の心で売るための言葉は選んでほしい。
和の暮らしが見直されていると言う。でも新築の家に襖は使われなくなっている。
いよいよ仕事としての襖は消えてゆくかもしれない
かみの心
それでも作り続ける
コメント
_ Shiro ― 2012年06月27日 18時53分29秒
_ わし太夫 ― 2012年06月28日 07時33分14秒
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://osakazu.asablo.jp/blog/2012/06/27/6493370/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
以前紙を使ったインテリアパネルの紹介で弊店へいらっしゃいました。
そこの人はフィリピンだかインドネシアだかで作った手漉きの紙を和紙と呼んでいまして、弊店のコンセプトに合うのではないかと持っていらっしゃいました。
えっと、これって私が一番嫌いなこと。和紙は日本で作っているから和紙であって、その見せてもらった紙は和紙と言うにはふさわしくない紙でした。
その人が何を思ってそれを和紙と呼んでいるのか。日本人としてとても腹立たしくなり勿論取り扱いはしませんでした、というかそのような和紙屋さんとのお付き合いなど考えられません。
ビジネス。この言葉好きではありません。商いは好きだけれどビジネスってなんかお金の臭いがして嫌。商いは人と人との繋がり。
仰る通りビジネスに走ると利益をどうしても優先してしまいます。そうすると省かれてしまうこともあり、それが職人の魂ならば模倣なんて気にしないのでしょうね。
日本人も日本人。自国の文化を守ろうという気持ちが薄い気がします。