早朝からバレーボールで大野市へ、この日の夕方受け取った一枚のはがき
かねて、病気加療中のところ…
私が東京から戻り、長田製紙所に入社、この長島温泉の仕事でS氏とのお付き合いは始まった
壁一面に千枚を越える紙を染めて揉んで貼り合わせる、それがどのように使われるのかもわからないままに
でも何だかわくわくした仕事だった
月日は流れ、一昨年久しぶりの大きな仕事
今回もどんな仕上がりになるのか、図面からは想像もつかなかった
大阪あべのハルカス、行ってみて驚いた
私にとってただの大判の雲肌紙は思いもよらない貼り方でホテルのロビー一面に
紹介した表具師が苦労したと聞いたがそれも納得
でもこの仕上がりにはいままでの和紙や壁紙とは一線を画す表現だ
昨年夏、何度も試作を繰り返し、それでもどんな風に仕上がるのか全く分からないまま製作
何でもないような出来上がりなのに工程は15を数える
ひとつでも抜けると目指す仕上がりにはならなかった
ずらりと並べて見てようやくなんとなくイメージが伝わってきた
この紙は北海道洞爺湖のホテルに
「うまく仕上がったよ」とうれしそうな声が今も耳に残る
コンラッド東京、このロビーの光壁の仕事で初めて知った一流ホテル
篠田 桃紅の作品と同じ空間に並んでいたことを知ったのはごく最近のことだった
とにかく紙に厳しく、表現に厳しく、それでいて私の紙を見離すことはなく最終的にはしっかり完成させてこのような一流の場所に使っていただいた。
今年の6月にも注文をいただいた。
やや元気のない声が気になってはいたが病気のことは何も語らず…
「また紙で何か面白いことやろうよ」最後の電話はおそらく病院からだったのだろう
享年67歳、生きている限りずっと追いつけそうのない目標のまま逝ってしまった
生前はとてもそんな風には呼べなかったが、今は兄貴と呼ばせてください
合掌
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