デザインということ2015年09月02日 22時39分09秒


若いころは県のデザイン事業が盛んだったこともあってデザインに関する講座をいくつも受講していた

なんとなくデザインという定義が大きく広がってきていることは感じていた

ただここ数年はいわゆるデザイナーと呼ばれる顧客とのやり取りで目指すものがあいまいで苦労することが多い

言葉は巧みで、書類は緻密にできていても肝心の形が見えてこない

それどころかラフスケッチすらないまま、雑誌やPCの画像をそのまま再現するような仕事

問屋制度が崩壊していろいろな職業が生まれてきたが、ものを作ることとそれを使う人までつなぐこと、近くなっているようで実は遠くなっているのではないのか

雲肌大礼紙 ざっくりとした繊維と流れるような雲肌は画像で伝えられるものではない
彩№701 丈長(幅970ミリ×高さ2200ミリ)

今年2度目の 舞鳳№4 偕楽
漉き模様としての一つの頂点

HIRYU-CIRCLES ラフスケッチだけの指示書から製作している

発注者と充分コミュニケーションが取れているからできること


楮ストライプ

楮をこれだけ真っ直ぐに並べるのは一本一本手で置くしかない
自動化された便利な機械を使ってるとしても物を作るのは人でありその手

同様にどんなに伝えるツールが進化しても人と人がつながることが最終目的のはず

表情がありニュアンスがある人の言葉に勝るコミュニケーションツールはない

ものを見る目、感じる心は自分の中にあるものだから

誰にでもある

                 かみの手

                                見る、聞く、触れる


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